えぇ、ぶら下がって生きてますよ。いろんな人に。

細かいことは気にしない

Citymarathonで書きたいネタが溜まり続けていて、今日と明日は会社の一斉休暇なので、一気に書こうと思うと、案外思うように進みません。

・・ということで、ブログに逃げてきました。

今日、書きたいのは他人依存の話。

マトモなオトナなら誰だって、自立して生きていきたいと思っているし、自立して生きていると思っているはず。

でも、やっぱり人間だから、誰かに依存して生きている。それは仕方ないことだと思う。

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大人って何だ?

今年でまもなく32歳になる僕ですが、未だによく言われますよ。

「君はまだまだ子供だ。そろそろ自立しなさい。」って。

今年の前半は、そんなことが続いたおかげで、大人とは何か?自立とは何か?みたいなことをずーっと考えていたけど、最近は少し考え方が逆説的に変わりつつあります。

そもそも、人間が完全に自立した状態って何だろう?

僕は今、ブログを書きながらオレンジジュースを飲んでいるけど、このオレンジジュースだって、僕が育てたオレンジではないので、誰かが育ててくれて、ジュースに加工して、パッキングしてくれたものが売られていて、それを買って僕は飲んでいる。

僕は毎月、生活に困らないくらいの、ありがたい給料をもらって生きているけど、それだって会社という組織がビジネスを回してくれて、得た収益を僕に配分してくれている。おそらく、会社の看板なしで、一人で今の給料分の稼ぎを作り出すことは、僕にはできない。

でも、会社であればその大きな収益の中で、自分が必要な役割を、つまり「求められる組織人としての役割」を果たしていると思うし、間接的には自分が貰っている給料分以上の働きをしているという自負はある。でも、それは一人の力ではなく、多くの人たちが連携し合って大きなお金を生み出すことができているわけなので、ある意味での依存関係であるともいえる。

依存関係はあるけど、それは単に「一人では実現できないこと」を成し遂げているわけなので、組織として自立し、その役割の一部を担っているという意味では、僕は自立していると思うし、大人であると思う。

そして、僕が今飲んでいるオレンジジュースも、僕が僕の役割と責任を全うする対価として戴いた給料を元手に、僕が選んで、僕のお金で買っているわけだから、それは自立ともいえる。

でも、このオレンジジュースは1パックで108円という安さだったけど、この値段でコレが買えるのは、資本主義経済の価格競争の結果だし、その価格競争は国や世界全体で作り出しているもの。

だから、このオレンジジュースを買っても財布のお金が対して減らなくて済んでいるのは、資本主義経済を回しているすべての人のおかげなのである。

多くの人が電車に乗るから、電車は動いているわけだし、

多くの人がここに住んでいるから、蛇口から水が出るわけだし。

働きアリの法則に代表されるように、経済というのは不思議なもので、全員が同じ方向に向かわないように、出来ているらしい。

会社で組織の一員として役割を果たす人。

オレンジを栽培する人。

オレンジをジュースに加工する人。

スーパーマーケットで働く人。

それぞれが、働きとしては独立しているんだけど、みんなが一定の依存関係を持ち、世の中は回っているんだと思う。

だから、依存しない!自立するんだ!とかいう、無意味な意識を強く広げて我が道を行くことが「自立」という言葉から一番離れている行為なのかもしれない。

僕は、少なくとも多くのことを、他人に依存して生きている。

依存から脱却しようとか、そういうことは思わない。

他人に依存して生きることは当たり前なんだから、そんなことは気にしないで、連動する人間関係の中で自分がどういう役割を果たすのか?

そこに意識を持って行けることが、自立とか大人とかいうものの、スタートラインなんだと思う。

まだ、わからないけどね。

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