自分に自信を持つことは、自分への諦めと表裏一体だと思う

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元々僕は、自分に対する自信なんてものは無い人間でした。

でも、ある時急に、自分に対する自信が芽生えてきました。

そのためにやってきたことを振り返っていたら、気づいたことがあったので、書いてみました。

簡単に言うと

自分に自信がないのって、結局、自分に対して過度な期待をしているからなんです。

そして、自分に自信を持つきっかけは、自分に対して一定の諦めを持てるようになったことでした。

(いや、もちろんそうじゃないパターンもあるんだろうけど、僕の場合はそうでした。)

僕の場合、かつては・・

いまだに結婚もできていない、仕事も普通の会社員。国際マラソンにも出れないし、ブログだって繁盛しない。笑

彼女ができても3ヶ月の壁で振られちゃうし、車を持つお金もない。

自分の夢が何なのかもわからず、軽いチャレンジをしては挫折する・・を繰り返していました。

そう解釈すれば、そりゃぁ自信なんて育てようがないですよね。

そんな僕を変えるきっかけとなったのが、「価値観」に対する気づきでした。

自分が何に価値を感じ、幸せを感じるのか?何のために生きているのか?

そういうことを考え出すと、自分の行動が中途半端だった理由も良く分かってくるし、何より「それでも良い」「人間なんてそんなもんだ」と思えるようになってきました。

結婚を急いだって仕方ない。
このご時世に会社員やれてるんだから良い。
国際マラソンへはまだ道半ば。
ブログも結構読んでくれている人がいる。
振られるけど彼女はできる(多少・・)。
車なんか必要な時に借りればいい。

結局、誰もが自分の幸せのために生きている。生きる意味とエゴは紙一重。

僕が何に幸せを感じるのか?がはっきりすることで、そうでない要素が、実はどうでもいいことだったんだと、気づくことができました。

自分に対する自信って、結局のところ、

自分にあれもこれもと過度な期待をせず、一定の諦めのなかで「自分に期待すること=やるべきこと」を絞っていくことなんだと思っています。

そして・・自分に対する本物の自信は、他人を許容する器の広さを伴います。

他人を許容できない「自分への自信」は、偽物の自信ですね。自信があれば、よほどの理不尽な事象でない限り、他人の行動が自分の人生には大した影響を与えないということが、良く分かります。

何事も自分次第。

僕を育ててくれた多くの皆さまのおかげで、そんな自信を身につけることができました。

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