明日、2016年3月11日は、東日本大震災と呼ばれる災害の発端となった「東北地方太平洋沖地震」の発生から丸5年。
あの日、多くの人たちが波に飲み込まれていくのを、テレビの前でただ呆然と見ていました。
あの現実離れした映像・・遠くの世界、自分とか関係のない世界で起きていることのような(おそらくそう思いたかったのだろう)、映画のような映像の数々。
太平洋沖地震でなくなった方々
その後の津波でなくなった方々
原発事故で故郷を奪われた方々
悲しみに暮れながら命を絶った方々
いまなお大切な人の居場所が分からない方々
いつ終わるのかも分からない原発事故処理のために犠牲になっていく方々
あの日、一瞬にして生活が一変してしまった方が、このブログを読んでしまったら大変申し訳のないことかもしれないが、実際、私の生活はあれから何も変わりませんでした。
同じ場所に住み、同じ会社に通い、同じ仕事をし、大切な人を誰一人失うことなく、当たり前の生活を送っています。
時に、そのことに罪悪感を感じることもあったけど、5年経ったいま思うことは
「それでいいと思う。」
どんな災害でも、どんな事件でも、
「当事者」と「当事者ではない人」が必ず存在する。
一連の震災に関して言えば、苦しみ悲しみの中にいる人たちの力になりたいと思う意味では、私は「当事者」であった。
地震当日もかなり揺れ、一時避難もしたし、帰宅難民でもあった。計画停電の影響も受けたから、そういう意味では「当事者」であったと思う。
ただ、震災による苦しみ悲しみそのものを軸に考えれば、東北地方に行ったことも無い、親族も知り合いも居ない私は間違いなく「当事者ではない人」であった。
当事者でなければ、その苦しみ悲しみは分からない。
もちろん、自分に置き換えて考えることで、その苦しみ悲しみを理解しようとすることはできるし、私も最大限に想像力を働かせて、「当事者」の皆さんの気持ちを理解しようとしてきた。
でも、5年経った今はっきりと思うことは
「やっぱり、当事者でなければ、その苦しみ悲しみは分からない。」
少し前に「何も変わっていない」と言っておきながら、一つだけ、5年前を機にはっきりと変わったことがある。
それは、当時60歳だった両親の誕生日には、毎年必ず帰省をするようになったこと。
あの日以来、私の思考の中では「大切な人が死んだ時後悔したくない」という思いが強くなった。
還暦を越えた両親の誕生日を祝うことができるのも、あと何年だろうかと考えたら、可能な限り両親に顔を見せ、育ててもらった感謝を示し、あなたたちの教育は決して間違っていなかったと、伝えてあげたかった。
私は、震災以後、仕事を除き、一度も東北地方に行かなかった。
なぜかといえば、先述の通り私には東北地方に縁もゆかりもなかったからだ。
「絆」の名の下に、日本国民が一致団結する中、東北を応援しようという行動を全く起さない自分を、うしろめたく思う気持ちはもう無い。
「それで良いと思う。」
大震災という大きな出来事の中で、私は私なりにその出来事を人生の中に取り込み、大切なものに気付き、行動することができた。
そして、もし私に新しい家族ができたら、家族を守るために原発・放射性物質・津波・地盤等々といった影響を強く考慮するだろうし、それは生活の知恵となって自分・家族の身を守る行動に変わると思う。
大震災による多くの犠牲は、当事者でなかった私の中でも僅かながら、確実に生きている。
それを、無理に大きくしようとか考えなくて良い。
大きくしたいと思う日がきたら、そうすれば良い。
そのままで良い。
もちろん変わっても良い。
それで良いと思う。
最後に:
大震災で・・だけではなく、様々な事情で、志半ばで亡くなられた皆様の、ご冥福をお祈り申し上げます。