人間はどうしても、他人と比べたくなるものです。
もしかしたら、過去の自分と比べたくなるのかもしれません。
400mハードルで世界陸上2度の銅メダルに輝いた為末大さんが、今日の記事でこんなことを話していました。
為末大さんが語る「限界論」
僕たちは、ある情報を受け取ると、受け取った情報を基準点(アンカー)として物事を判断するようになります。数字だけでなく、社会の常識や世間の声などがアンカーになって、能力を制限することがあります。
僕が銅メダルで終わったのも、「日本人の陸上選手に、金メダルは獲れない。銅メダルでも立派」という論調が、無意識レベルで僕のアンカーになっていたからかもしれません。
基準点はどこか?
「自分を高めたい」「成長したい」と思うことは素晴らしいことだし、その意欲が自分の能力を最大限に発揮し、発揮を続けることで、人間は思っている以上のスピードで成長をすることができます(あくまで個人的な経験則ですが)。
しかし、ある程度の”成長”を遂げたあとの意識をひも解いてみると、どんな考えが浮かぶでしょうか。
「自分は成長できた」
こう思っている時点で、基準点はまだ下です。
ちょっと気を抜いたら戻ってしまいます。
どんな言葉にもあてはめられます。「意識を高く持つことが出来た。」「高いレベルで安定している」等々・・・
すべて基準は「下」にあるからこそ、”高い”というワードが選ばれているのだと思います。
「高い」ことを認識している時点で、意識はまだ低いところにあります。
おそらく、今の自分より低いところにある他人を見て満足しているか、過去の自分と比較して満足しているか、どちらかだと思います。
しかし「低い」ことを意識すれば良いわけでもなく、「高みを目指す自分に安心している」状態に陥ってしまうかもしれません。
僕はココにいる。
「僕は今、この位置にいる。
高いか低いかは良く分からないけど、目指す場所より低いことは分かっている。
だから、さらなる高みを目指して○○に取り組んでいる。」
そんな思考を持ち続けていたいと思う、水曜の夜でした。
おしまい。