(本ブログ、雑記帳につき時々口が悪くなることがあります。笑)
昼休み。お金をおろすために銀行に出かけた時の一枚。
ATMの上に、流行りのタピオカミルクティーの空カップ(ちょっと残ってるけど)と、ペットボトル2本。
いずれも、ゴミでした。
すべて想像ではあるものの、おそらくこれ、一人ではない。
1人目がゴミを置き、2人目がゴミを置いた。
もしかしたら3人いたのかもしれない。
バカは想像力がないので、平気でゴミを捨てる。
そのゴミを、後から処理する人の気持ちも分からないし、おそらく「誰かが後で処理をしなければいけない」ということすら、分かっていないだろう。
バカだから。
問題はここからで、「ちょっとバカな奴」が、ATMに捨てられた光景を見ると、
「既に捨ててるやつがいる。だから俺が捨てても大して変わらない。」と考える。
そして、捨てる。
後述のリトルバカは、ちょっとは考える力があるのだが、自分がやりたいバカ行為を既にやっているバカを見かけると、安心してバカをやりだす。
そして、バカな行動を取ることに慣れていき、罪悪感は薄れていき、脳の老化とともにリトルバカは標準バカに近づいていく。
僕の中では、「共用スペースにごみを捨てる」という典型的な迷惑行為において、後のことを考えられない行為をする人のことは、それ以外に何が優れていても問答無用でバカだと思っている。
もちろん、それをバカだと思わず賞賛や許容する人のことを、責めたりはしない。
ただ、バカ行為をするヤツは全員バカだと思っている。
そして、上記のような流れ(仕組み)で、バカはバカを再生産する。
よく、脳が老化すると「自分が騙されていることに気付かなくなる」といわれ、
街のご老人たちが上手な営業マンのトークに騙されていくシーンを見かけるのだけど、
人を騙す巧妙なトークを見破る力が、レベルの高い観察力・想像力だとすれば、
「自分の迷惑行為が他人にどのような苦労を与えるのか」
を考えることも、ちょっとレベルの低い観察力・想像力(過去の体験の記憶力?)なのだと思う。
僕自身も、うっかりバカにならないように、気を付けなければ。
そう思い起こさせてくれた3つのゴミたちでした。