昨日、電車で移動中に、電車が立ち往生してしまった。そんな時、隣の親子が何やら話し始めた。
子「ねぇねぇ、なんで止まってるの?」
親「うーん、どうしたんだろう。なにかトラブルでも起きたのかな?」
子「トラブル※ってなーに?」 ※正確にはトラブルとは言えていない。笑
親「電車が壊れちゃうこと。」
子「電車、壊れちゃったの?」
親「うーん、そのうち教えてくれると思うよ」
その後、電車は無事に動き出し、乗り換えた先で向かいに座った別の親子の話が聞こえてきた。
子「ねぇママ、疲れた。」
親「・・・・・(スマホをいじり中)」
子「ねぇママ、ねぇママ、いつ(家に)帰れるの?」
親「うるさいなぁ!」
子「・・・・・」
親 子どもにスマホを渡す
子 ゲームを始めて黙る
ニュースか何かで「家庭の経済格差が子どもの学力差を生んでいる」とかいう話を聞くけれど、いつも疑問だったのは、世間で成功している人たちって、幼少期に恵まれなかった人の逸話が多いよな、ということ。
今日の二組の親子の会話で、そのヒントを少し、学べたような気がする。
子どもを育てるうえで、親子の会話から子どもに語彙力を与えてあげることが、子どもの成長、学力向上に大切であることは、普通の感覚なら理解できることだと思う。
それを理解していてできないのか、理解すらしていないのかは分からないが、
少なくとも二組の親子の「子」の場合、この二人の子に学力差が生まれるならば、それは間違いなく「親の能力」の影響だということ。
親の能力が低ければ、自然と家庭は経済的余裕はなくなるし、親の能力が低ければ、子どもの語彙力は育たない。どんな学問を進めるにも、語彙力は必須だから。
「塾に行かせたくても行かせられない」といったような、経済格差=学力格差 という図式を否定する気は全くない。
でも、学力格差が経済格差だけで生まれるという考え方だけは、絶対に正しくない。
たとえ経済的に苦しくても、お金を掛けずに子どもに与えられる”財産”だけは、与えられる親にならなければ、と感じた瞬間だった。
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あ、その前に結婚せな