人はなぜ自己肯定感を欲しがるのか

ぼくは「自己肯定感」という言葉があまり好きではない。

好きじゃないというより、「なんだそのよくわからん概念は・・?」という感覚。

別に頑張ったって必ず報われるわけじない。

「報われる」の定義によるけど、例えば収入で考えても、もし仮に「頑張れば必ず収入が増える」世界線にいるなら、みんな頑張るわけです。でもそうすると平均値が上がるので、市場に流通する通貨が増えて、結果的にインフレになり「収入が増えて報われた」と感じるラインは上がってしまう。

どちらに転ぶか?未来は不確定だからこそ、「報われる」という概念があるわけで、
頑張ったって必ず報われるわけじゃないということを、論理で理解していれば、
未来は不確定なのだから、どちらの未来に転んでも良いように、どちらに転んだとしても淡々と受け止められる準備をしておけば良いのだと思う。

自分が、特別な存在だとは思っていない。

どんな面を切り取ったって自分よりできる人なんて山ほどいるし、何かの世界で一番になれるとも思っていないし、そもそも死んだら何も残らないわけだし、「本当に意味のある仕事」なんて中々存在しない。

でも、そんな自分が少しでもハッピーだな、と思えるような体験をすることの連続が、人生を充実させてくれるのだと思う。

もちろん、それは他の誰かが体験しても地球規模で見たら何も変わらない。むしろ誰も経験しなくたって、地球規模では何も変わらない。

私たちは本来、地球の大きな食物連鎖の中に放り込まれたイチ生物に過ぎないわけだから、そんな「生きる意味を」とか「生きた証を」とか、深いことを考えなくても十分。

美味しいものを食べて、自分が「あぁ美味しいなぁ」と思えたら、人生なんかそのぐらいで十分だと思う。

一人の人間に、そんなに特別な価値などないと思う。それで全然、問題なし。

自己肯定感が「高い」と言われる人の大半は、自己肯定感という概念すら考えてないと思いますよ。

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